院長コラム
Column

昨今の医師への不満

2019年11月12日

診察する医師への不満はいろいろとあります。細かい医療の内容はわからないことも多いので、そのほとんどは接遇や話し方などに対する感情的な不満から始まるのかもしれません。

ひと昔前、医師へのクレームは、偉そうで高慢という論調のものがほとんどだったそうです。確かに私の若い時代では「あんたが望んでいるから手術をしてあげている」という話をする先輩の外科の医師もいました。

昔は医師が患者さんを父親のように諭すというパターナリズムという手法をとっていたからなのでしょう。

しかし時代はかわり、そのような手法は今では受け入れられません。特に若い先生は優しくなってきているのだと思います。

小さい時からの優しい教育によることもあるのでしょう。今では医学部でもあまり偉そうにせず、患者さんの意図を踏まえた診察をするように教育するそうです。

一方、若い先生は患者さんとの距離の取り方に苦労するようです。小さい時から、個々を尊重する教育をうけるため、少し距離をおいた対人関係を形成するようになってきているからかもしれません。

距離をおいた診察スタイルはクールでスマートな感じはしますが、少しおせっかいが特徴の大阪の雰囲気には馴染まないような気もしますね。

そのため最近では、医師が高慢で腹が立つというクレームは息をひそめ、一方では医師との距離が遠い、機械的、他人事というクレームが増えているそうです。

例えば「この治療がいつまで続きますか?」という質問をした場合、

昔であれば「そんなんあんた次第やで」といって諭していたのかもしれませんが、最近では事実にもとづいたことを客観的に説明します。そのためわかりませんという反応もでてきます。

癌の治療中、若い先生に治療期間を聞いたところ生存予想年齢をそのまま伝えられてショックだったというクレームも最近実際にあったそうです。

また、医療に対する裁判が普及したことも患者さんへの対応がかわった一因なのでしょう。

もし治療によるトラブルのみに注目すると、治療を医師が判断するのではなく、治療へのリスクのベネフィットのみを説明して、最終的に患者さんに選択してもらうことになります。

場合によっては治療のリスクについてだけの後ろ向きな話に終始することもありそうです。

訴訟社会のアメリカでは、治療の説明文を家でよんでおいて納得できればサインくださいと患者さんに分厚い説明冊子を手渡します。

私の所属する学会でも、この治療や手術をどのようにすすめたのですか?という質問が時折ありますが、発表者はきまったように、リスクとベネフィットを説明し、患者さんに選択してもらうといいます。建前上そういわざるをえないのかもしれません。

しかし、個人的にはその応答を聞いていつも不自然な居心地の悪さを感じてしまいます。

私が患者さんなら、専門的な知識はないので、どちらにしますか?と言われても困ります。「それでは先生はどうしますか?」と返したくなります。

おそらく「どうしますか?」といわれて困っている患者さんもいるのだと思います。実際、他人事のように「どうしますか?」いわれて困ったというクレームもあるようです。

もちろん予想されるリスクや患者さんの意見は大切です。しかしその中でも少なくとも患者さんが判断に困らないようにすることは必要なのだと思います。

私自身、お世辞にも話上手といえません。うまく納得いただけないことから不満につながることもあるのだと思います。

しかしそれでも治療によってもたらされる利点に光をあて、少しは近い距離でその喜びを共有できる診察でありたいものです。

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