院長コラム
Column

五十路

2017年07月31日

私事で恐縮ですが、先週の週末で気づけば50歳になりました。少し前位まで30代だったようにも感じているのですが、あっとゆう間の40代でした。節目の年齢ですのでいろいろと感慨深いものがあります。

子供のときは、病気のこともあり漠然と長生きはできないのではないかと思っていましたので、この歳まで健康で生きてこれたことに本当に感謝です。

もちろんまだまだ元気で大丈夫のつもりです。しかし日本の戦国時代では人生50年といわれていましたし、中国の諺でも50歳という年齢は、かなり白髪になるような老人を意識したたとえが多いようですね。改めて歳を重ねたものだと実感します。

論語では40歳で不惑(迷わなくなる)、50歳で天命を知る(自分の人生の役割知る)をといわれています。人間成長するとこうあるべきだともちろん同意し、そのようになりたいと思いますが、まだまだピンとこないところもあります。いわれてみると、いやなこともすぐに忘れるようになってきたので、少しづつは迷うことが少なくなってきたような気はします。昔のいつ命を落とすかわからないような激動の短命時代では、精神的に成熟するのも早かったのはとも感じてしまいます。

確かに死を意識すると人は残りの人生を真剣に考えるだと思います。例えば多くの人は大きな病気になると、人生を見つめなおします。人生の時間が有限であるとはっきりと理解したときに、その大切さをあらためて意識するのだと思います。

個人的な経験では、30歳位の時に腰の痛みがあり、脊椎の腫瘍と診断されたことがありました(幸い精密検査ではそうではなかったのですが)。自分の人生が長くないのではとはっきりと意識したときに、自分が今本当に何をすべきなのかというのを真剣にいろいろ考えましたし、街の人々が光輝いて見えたことを思い出します。

少し前に病気で50過ぎの歳で他界されたAppleの創業者のスティーブ ジョブス氏も説いています。死を意識して生きることが重要であること、毎日が人生の最後の日であると思って生きるべきであることを。

あらためて残りの人生の時間を意識し、一日一日の時間を大切にしていくきっかけの歳としたいものです。

 

 

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