院長コラム
Column
敬意をはらう
2024年11月01日
若い時には騒がしい中でも会話ができていましたが、最近では騒々しい場所ではうまくききとりにくく、少々苦痛になってきたように感じる時がでてきました。
そういえば最近、聞き返すことも増えてきたような。
妻には本当に何にも聞いていないし、反応がないとあきれられる時も。おやじの特徴ですね。
歳とともに聴力は低下しますので 加齢に伴うものなのでしかたがないことです。
聴力の低下もそうですが、すぐに反応するための瞬発的な認知力も低下してきたということなのかもしれません。
昔、年配の方がいわれていたことが今となって自分にもあてはまりつつあるのだと実感します。
たとえうまく聞き取れなかったとしてもあまりにその頻度が多くなってくると少しは聞こえたふりをしてしまうこともありそうです。
これは年配の方によく当てはまる反応です。診察室でも話の内容が伝わっていないことにしばらくしてから気づく時もあります。
目の前で英語をペラペラと話されてもなぜか少しはわかったふりをしてしまうということにも当てはまりそうです。
なぜわかったふりをしてしまうのでしょうか?
その理由はいくつかあるのでしょうが、おそらく己の尊厳を守りたいからということがその一つなのでしょう。
つまり馬鹿にされたくないという気持ちです。
認知症についても同じことがいえそうです。
例えば認知症の方への診断テストで、「あなたは何歳ですか?」という質問に対して、たとえ答えられなかった時でも「私の誕生日は〇日ですよ。」とか「女性にそのようなことをきくのは野暮」などと少しはぐらかした返答も増えます。
間違ったことをあまり追い詰めてしまうと、元気をなくしたり、逆上するということにもつながりそうです。
人としての尊厳を守りたいというのは、たとえ認知力が低下した時でも最後までのこる人としての根本的な反応なのです。
そういう意味では、相手のミスを追い詰めすぎないような配慮も必要なのでしょう。
相手の尊厳を損なわないように敬意をはらうということは、老若男女問わずとても大切な振舞いなのだと感じます。
体の機能低下を認めることは少々寂しいことですが、私自身、歳をとるとともに年配の人の考えも実感しているような気もして。
少しずつは優しく寛容になっているということなのでしょうか。そこは加齢に伴う利点ともいえるのでしょう。
そしてもちろん、もう少し大きな声と根気強い説明も。
HPにも書いてあるとおり、相手の方に敬意をはらうという当院のクリニックの理念です。
あらためて相手へ敬意をはらって尊厳を守ることの大切さを実感しています。