院長コラム
Column

国宝

2025年09月30日

吉田修一の小説を映画化した『国宝』は、日本の実写映画としては珍しいくらいにヒットしています。

昭和から令和の時代をかけ走るように歌舞伎の道にすべてを捧げ、「国の宝」となるまでの男の人生を通し、「芸」とは何か、「生きる」とは何かを問いかける人間ドラマです。

私も近くの映画館で鑑賞後、オーディオブックにても原作小説を聴きなおしています。

原作では、子供の頃から傍らで守りつづけてくれた少々やんちゃな竹馬の友が中国ビジネスで大成功、天王寺どや街の友人がテレビの人気司会者として大活躍、歌舞伎低迷時の映画への挑戦、などのいくつかのサイドストリーもあり、映画では語られない詳細な描写もあります。

「何かを極めること」の厳しさと美しさ、そして「人生を賭ける」熱量に触れると、なぜか魂を揺さぶられます。

物語では、長崎から大阪の街への居を移し、上方歌舞伎の舞台での様相が描かれています。

クリニックすぐ近くの道頓堀もその一つで、かつて日本の芸能、大歌舞伎の中心地でした。中座、浪花座、角座、朝日座など、幾つもの歌舞伎の劇場が軒を連ねていました。

待合室から眺めることができる道頓堀橋の下には、当時の歴史を伝える資料がひっそりと展示されており、この街の変遷を静かに物語っています(ほとんど知られていませんが)。

しかし、残念ながら時代の流れとともにそれらの劇場は姿を消し、現在の上方歌舞伎が哀愁を帯びた衰退の道をたどっていく姿も描かれています。

私の知る限りでも、角座、中座、歌舞伎座などが次々となくなり、来年には松竹座も歴史を終える予定とのことで少々寂しい話です。

日本の芸能文化を支える力を取り戻す余裕ができるほど大阪の街も元気を取り戻してほしいものです。

一方、この物語は、健康という体の基盤の大切さを教えてくれます。

主人公の一人である俊介、そしてその父である半二郎が共に重症の糖尿病を患い、志半ばで命を落とすという痛ましい展開も描かれています。

華やかな舞台の裏側で、彼らが日々の厳しい稽古や不規則な生活、精神的な重圧から、いかに健康を犠牲にしていたかを暗示しています。

歌舞伎役者のみならず、私たちは皆、体という土台が崩れてしまえば、その光を放ち続けることはできません。

健康とは、人生という舞台で、いつまでも輝き続けるための「見えない衣装」ということなのでしょう。

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