院長コラム
Column

居場所をみつける

2018年08月06日

どうしても学校にいけない、働けないという理由で、元気をなくしてひきこもってしまう方は、70万人以上にのぼるそうです。

私の学生時代も登校拒否の問題はよく取り上げられていました。昔はひきこもりというよりもヤンキーになって学校にいかなくなるとパターンも多かったのかもしれません。

反応の差はあるにしても、いずれも周りの環境にうまく適応できていないためなのでしょう。

さまざま理由があるのでしょう。病気の場合もあるのかもしれませんし、情報飛び交う複雑な社会も一因なのかもしれません。

ひきこもりの原因をうまく解決できないとどんどん高齢化がすすみます。現代では子供が50代で親が80代といういわゆる5080問題も指摘されています。

多くの専門家が多くの角度でその理由が検討され、対策を取られているのでしょう。

もちろん私がとやかく言える立場ではありませんが、ひきこもってしまう方の立場を考えると、その気持ちはよく理解できます。

亡き父は中学校の先生(国語)でしたが、彼の少年時代には引きこもりはなかったのだとよく言っていました。

父は広島の農家出身で、職をもとめてこちらにでてきたのが大阪の地でのはじまりです。

農家の家では小さい子供から年寄りまでそれぞれの仕事があり、みんなが協力して働かなければ食べていくことができない時代でした。

そういう意味では、家族のみんなに役割がありそれぞれの居場所があったそうです。おそらく自分が周りの人の役に立っていると感じながら心が安定した生活をしていたのかもしれません。

貧しい時代から豊かな時代にかわり、その中で自らの役割と居場所をうまく見つけることができなくなってしまったのがひきこもりの原因だとよくいっていました。

当時はほんまかいなくらいにしか思っていませんでしたが、今となっては確かにある意味あたっているのではないかと感じます。

居場所をみつける意義というのは、子供のみならず大人にとっても同じことなのでしょう。

自分の居場所がないと思うと、その場所にいるのがいやになります。そして集団の中にいたとしても、自分の役割と居場所がないとすごく孤独を感じて居心地が悪くなります。

会社の中でも窓際に追いやられ、役割と居場所がないと会社をやめていく人が多いのでしょう。

逆に飲み歩いて家に帰ってこないお父さんも酔っ払うと家での居場所がないとよくぼやいています。

自分の尊厳を維持するためには自分の居場所が必要なのでしょう。

その人の居場所はどこに?というのは普段意識しないことが多いのですが、社会や組織の中でもそれを確認しておくことはとても大切なことのような気もします。

先日、医師会主催の「かかりつけ医認知症対応力向上セミナー」に参加しました。

今、高齢者においては認知力の低下の問題から、運転免許をとりあげようという動きがあります。危険運転による事故が問題となっていますので、しかたがないのかもしれません。

しかし、免許を取り上げてしまうとますます認知力が低下してしまいそうです。

ご高齢の方は行動範囲が狭くなると急に認知症がすすむことが多いのです。そして、ひきこもってしまうかもしれません。

そして免許を取り上げる時のトラブルも多そうです。たとえ認知力が低下したとしても人としての尊厳を守りたいというプライドは最後の段階までのこるのです。

そして自らの居場所がなくなってしまうと生きる力もなくしていきます。

若い人のみならずご高齢の方の居場所をきっちりとみつけておくということも大切なことなのだと思います。

超高齢社会を迎えるにあたり、いろいろ対応していない問題はたくさんあります。その中でもご高齢の方の居場所はどこあるのか?というはひとつの大切なkey wordなのだと感じます。

 

余談ですが、このめずらしい「黒飛」という姓の方にいままで何度かお会いしましたが、すべて広島出身でした。先祖は忍者ですか?と聞かれる時もありますが残念ながらそうでなないようです。もしかしたら村上水軍と関係する海賊に由来していたのかもしれません。

妻は、伊賀近隣の出身なので、伊賀の方から来た黒飛ですというともしかして忍者?思われ会話のつかみにはなるそうです。若い人は猿飛佐助や赤影のことはしらないかもしれませんが。

 

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