院長コラム
Column
今を生きる
2018年09月10日
「今を生きる」という映画が30年くらい前にありました。ロビン・ウイリアムスさん主演で、アカデミー賞の脚本賞も取りました。
初対面の生徒を机の上に立たせ、教科書を破り捨てる破天荒なキーティング先生とその生徒の話です。
生徒に過去に囚われたことがいかにつまらないことなのかをとき、生徒たちは自ら今を生きるということは何かを考えだします。
ロビン・ウイリアムスは私のお気に入りの俳優さんでしたが、この映画をきっかけに「パッチアダムス」、「レナードの朝」、「グットウィルハンティング」などの人情派医師を演じることになりました。
最近では、ロビン・ウイリアムスのファンであったことをきっかけに結婚した夫婦とこの映画が大好きという生徒を題材にした「今をいきる」というミュージカルが日米で開演されているようです。
少し前には林先生の「それは今でしょ」のフレーズもはやりました。
あらためて多くの人が今を生きるとは何かを問い、そのようにありたいと共感しているのだと思います。
確かに過去は過ぎ去ったものなのでどうしようもないことです。しかし、そうはわかっていても、素直に「今を生きる」ことは難しいことです。私を含め多くの人は過去のことにとらわれて生きているのだと思います。
日本の幽霊は「うらめしや」と言いながら、足が地につかない後ろに引きずられたような姿でさまよっています。それは新たな道を見つけることのできないいつまでも過去をとらわれた姿を意味しているそうです。
いつまでも過去のことを忘れられないと幽霊になってしまうということでしょう。生きている状態でもいつまでも地に足がつかず過去の恨みにしがみついているのは、いわゆる生き霊ということなのでしょうか。
お釈迦様は過去にとらわれ、いつまでも意識の中にとどまり続ける悩みや煩悩による苦悩を現生での苦としました。自らが悩み続けた仏様のさとりです。
仏教の経典は難しい言葉が連なり、私を含め多くの人が理解するのが困難です。歳をとるにつれて法事の場に列席することも増えていますが、未だ御経の意味は理解できません。そしてなれない正座により足が痺れて痛いと感じています。
しかし、足が痛いと思っているのはそれでいいのだそうです。経典を唱えながらそれに集中することにより無心となり、過去を悲しまずに意識を現実に戻すことが大切なのだとある方が教えてくれました。
足が痛いと体の状態を感じることは、現実を生きている証拠です。そして見様見真似でもお経を唱えていると心が安定していくような気もします。
瞑想やヨガなども自らの体の状態を感じながら心を安定させる手段だそうです。
最近、運動不足の解消も踏まえ、下手なゴルフを始めるようになりました。スコアのことを考えるとかなり寂しい思いもしますが、無心に球を打ち続けていると、少年時代に暗くなる夕暮れまで無心にキャッチボールをしていた頃を思い出します。
少年時代は、理由はわからないけどこのキャッチボールがずっと続けばいいのにと思いました。その時、まさに今を生きていたのでしょう。
体を動かし、それを感じることは今を生きる上でのkeyなのかもしれませんね。
今を生きるのは大切だが、今を好き放題で未来は大丈夫なのか?という不安もありそうです。欲望のままに好き放題して周りの人に迷惑がかかっては困ります。
そういう点では今を楽しみながらそれにつながる未来の楽しみも意識するというのがいいような気がします。
病気の予防という点でも体を動かすということはとても大切です。
心臓病や動脈硬化にとってはその予防に運動は大切です。意外思われるかもしれませんが適度な運動はもっとも強い癌の予防効果を有しているとされています。
おそらく免疫の機能がよくなるからでしょう。
今を感じながら適度に体を動かし、将来の健康につなげるというのがよさそうに思います。
キーティング先生はいいます。「今を生きろ若者たちよ。そして自分らしいすばらしい人生をつかむのだ。」
少しでもよかったと思える人生を歩み続けるためにも今を生きていきたいものです。